A PRIORI

時間とは、ある出来事とある出来事の継起の連続性が、記憶によって整然され、認識によって受け取られることで成り立つ概念である。

空間もまた、常に認識に先立って存在しなければ、成り立たない原理であると考えられている。そうした物事を先験的、自明な事実として認識するための考え方を「ア・プリオリ」という。

しかし、宇宙の成立要因や、時間の持つ伸縮性、非連続性を思う時、果たしてそれらの考え方が当てはまるのだろうか?

単純に言えば、好きなものを食べている時と、嫌いなものを食べている時。好きな人といる時と、嫌いな人と同じ空間と時間を共有する時。走っている時と歩いている時。

ここでは、時間に対する問いを、より深く作品の中で表現しようと思う。

音楽と映像は、躍動しながら時間というレールの上を順調に走っていく。しかし、ある瞬間、それらの前後が繋がり、認識も記憶も超えたある種の円相を成す瞬間があるだろう。

この時、形式的/観念的な言葉ではない、直感としての「ア・プリオリ(先験)」を得る。それは最早、認識の方法論とは無縁の、終わりも始まりも無い、あの静止した永遠の刹那の事なのかもしれない。